その後、前川事務所を辞め、都市計画を勉強するために大学院へ進学します。その当時、都市計画の資料となる本は、古代のギリシャ、ローマに関するものしかなかったため、ギリシャやローマの古代都市の広場を中心とした中で、複数の建物とそれらがつくるオープンスペースである広場の関係がどのようになっているのか研究したようです。そして、日本の社寺仏閣にも似たよう関係があるということで、そういった研究もかなりされたそうです。