あとがき

 今回の講演会は、丹下健三の生誕100周年ということでスタートしました。

 香川県建築士会高松支部青年部会では、同世代の建築家をお呼びして講演会とその後の懇親会を必ずセットで来ていただいて、紙面ではわからない生身の人間の部分を感じることを目的とする事業をここ数年毎年行っています。2008年は「香川県庁舎」竣工50周年ということで、若手建築家ではなく、丹下健三研究の第一人者藤森照信氏に、「丹下健三と香川県庁者」ということでお話いただきました。

 今年は、丹下健三生誕100周年ということで、再び藤森照信氏においでいただくということから準備が始まりました。そうした中で、夏に丹下さんの展覧会を香川県主催で開催すると。「香川県庁舎」竣工50周年の時も、香川県と共催し、あまり使われていなかった県庁ホールを会場とすることに成功しましたが、今回も香川県と共催するかたちで準備を始めていく中で、展覧会の委員長の神谷宏治氏も加わることが決まりました。
 そうなると、コーディネーターが必要となります。宮本部会長に尋ねると、「どうすればいいですかね?」と。こうなれば、ぼくがやるしかありません。

 藤森氏を相手にお話するのも相当勉強が必要ですが、加えて神谷宏治さん。しかも、相当周到に段取りをしないとこれはエライ事になるぞと、かなりの重圧の中準備を始めました。
 藤森さんはこれまでの経緯から、メールでのやり取りは容易なことがわかっていましたが、神谷さんとどうコミュニケーションを取ればいいのか、と思っていたら、展覧会の準備でかなり頻繁にやり取りをしている香川県の佐藤竜馬さんと今瀧哲之さんが、「神谷さん、メール大丈夫です!レスも早いですよ!」と。

 あらかたの流れと時間配分表を作成し、お二人に内容を確認していただく。藤森さんはあまり細かなことは言いません。神谷さんは、こちらが迷っているところを的確に疑問を投げ掛けられました。しかし、こちらがそこで決めたことは何もおっしゃいませんでした。

 当日、藤森さんは雑誌の取材旅行から直接会場入り。このあたりも、「気にしなくていいから」という感じ。神谷さんは、お昼前の飛行機で高松に。少しでもお話が出来たほうが良いと思い、佐藤さんと空港までお迎えにあがりました。ご高齢なので、どのような様子なのか少々の心配もありましたが、「矍鑠」と表現するのが失礼なほど、背筋もしゃんとしているし、真摯な生き方が溢れている、ダンディで風格がある様に驚きました。

 師山本忠司は、様々な建築家・アーティストと交流がありましたが、その中でも、神谷さんの話をする時は、特別なニュアンスを持っていました。そのせいか、こちらの特別な思いもあり、最初は中々話しかけられませんでした。うどんを一緒に食べ、車で香川県庁舎へ。一旦控え室にご案内し、県庁ホールを歩きながらいろいろな話を伺うことができました。そうしながら、ぼくは、少しずつ緊張がほぐれて行くのがわかりました。

 控え室に戻ると、藤森さんが到着。お二人に、最初から進行の説明。というよりも通し稽古。藤森さんでも年代が曖昧なものもあるようで、尋ねられましたがぼくの頭には年代はしっかり記憶されています。ステージは披露されなかったお話も交え、リラックスした中で良い準備が出来ました。

 壇上での様子は既にお読みいただいた通りです。

 駆け足ではありましたが、何とか建築家丹下健三の人となり、そして、「香川県庁舎」への道程をご紹介できたのではないかと思います。

 7月20日にスタートした「丹下健三 伝統と創造 瀬戸内から世界へ」展は、見ごたえ十分で、その記念シンポジウムも大変魅力的で充実したものでしたが、神谷さんが体調を崩され欠席となってしまいました。そうなった今、改めてお呼びしてお話が伺えて良かったなと思っています。

 今回の講演会を振り返って、師山本忠司が神谷さんのことを特別なニュアンスで語っていたことが少し理解できたように思います。「香川県庁舎」は、香川県にとって特別な建築です。純粋芸術としての「作品」としても、建築家丹下健三の傑作でありひとつの頂点であることは講演会でも述べた通りです。そして、郷土復興の記念碑である県庁舎を気鋭の建築家丹下健三に託そうとした猪熊弦一郎の熱量。それを受け、戦後の「民主主義」は、県民に開かれたものであるべきであり、それを体現することを丹下健三に託した金子正則元知事の熱量。それを見事に建築としてかたちに顕した丹下健三の熱量。そして、丹下健三を傍らで支えた浅田孝の熱量。同じく丹下研究室の顔として現場にあたった神谷宏治の熱量。香川県の技官として、良い建築とすべく現場で陣頭指揮を取った山本忠司の熱量。これらの、莫大な熱量が「香川県庁舎」を特別なものとし、その熱量は、その後香川で仕事をすることとなる気鋭の建築家・アーティストに伝播し、良い作品がたくさん生まれたのだと思います。そして、今もなお「香川県庁舎」は衰えることなく、甚大な熱量を放出し続けているのです。

 とにかくその端緒となった「香川県庁舎」。山本忠司は、この「香川県庁舎」の現場を預かるものとして、神谷さんと全身全霊を込めともに戦い、傑作に至らしめたという意識が強いのだと思います。神谷さんとは「戦友」の如き思いを持っているのだと。そう思いました。

 山本忠司は、自らが建築家であることだけでなく、自分が関わった多くの作品に並々ならない愛着と誇りを持っており、その評価を高めるための活動を、労を厭わずに尽力していました。ぼくは、香川の建築・アートから多大な熱量をいただきました。そして、それを伝えるお手伝いをすることが、先達の方々への恩返しだと思っています。

 最後に、今回の講演会の開催にあたり、丹下展の準備の多忙な中多大な協力をいただきました香川県の佐藤龍馬さん、今瀧哲之さん、本当にありがとうございました。また、すべての段取りと調整をしていただいた、香川県建築士会高松支部青年部会の宮本博教部会長をはじめとする部会のメンバー、そして部会のOB諸氏、関わった人たちの魂が響きあう場を設えていただきありがとうございました。

 今回の講演会が、少しでも多くの人に、熱量を伝えるこことなれば幸いです。

林 幸稔