それでは、「香川県庁舎」の話に入りたいと思います。高松は、戦災で焼け野原となり、その復興計画の1つの課題として、県庁舎の再建というものがありました。丹下さんに依頼するまでの話というのが、都市伝説のごとくいろいろとあるんですが、そこは僕が理解しているところでお話ができたらと思います。
計画段階で香川県は、前川國男さんと丹下健三さんの2人を候補として検討していたようです。ここに写っている3人がキーパーソンとなるのですが、奥から、金子正則知事、丹下さん、猪熊弦一郎さんです。
金子知事さんは旧制丸亀中学校の出身ですが、その2学年上の先輩が猪熊さんです。猪熊さんから、「香川県庁舎は香川県のシンボルにならなければならない。東大の丹下先生にお願いしなさい」とアドバイスされていたようです。金子さんが全国知事会で東京に行っている時に、銀座でばったりと猪熊さんに会います。その時に、また「県庁舎は東大の丹下さんにお願いしなさい。建築家に良い仕事をさせなさいよ」と言われます。瀬戸内海を渡る船に乗ると、同じ船室に金子、丹下と書かれていました。「東大の丹下先生ですか?」と尋ねると「そうです」と。そこから具体的な話が進んでいったようですが、実は伏線があります。香川県の職員では私の師匠である山本忠司が実務を仕切っていました、それから戦後、丹下さんが東大の助教授になってからの番頭さんが浅田孝さん。この方は香川の出身です。正確にいうとご両親が香川の出身らしいですが、この2人がぜひ、「香川県庁舎」を丹下さんにお願いしたいということで、みんなの熱意がひとつになってスタートしたと聞いています。
そして、設計作業がどういうふうに進んでいったのか、神谷先生にお聞きしたいと思います。
まず知事さんからこうしたい、ああしたいという要望を6か条か7か条、まとめて示されました。
ここで、この建物の特徴を上げてみますと、コルビュジエが主張した近代建築の5原則、「ピロティ」「屋上庭園」「自由な平面」「水平連続窓」「自由なファサード」。この5つの原則を踏まえて、この建物は出来ています。特に、「屋上庭園」「ピロティ」まで含んでいるのは、珍しい例だと思います。 そういう意味では、かなりコルビュジエ的な、インターナショナルな性格を持っています。と同時に、「清水の舞台」をイメージしたような日本的なデザインがあります。だから、国内的にも国際的にも理解も得られるし、高いレベルで評価されていると思います。近代建築の5原則と日本の伝統をうまく組み合わせていますね。
評伝「丹下健三」の中にも出てくるのですが、丹下研究室の設計の進め方というのは、丹下さんが「スケッチを書いて、これで進めてくれ」というやり方ではなくて、設計に関わっている研究生にそれぞれ検討させた上で、出てきたものをブラッシュアップして方向性を見つけていくやり方、「丹下方式」というやり方をしたそうですが、この建物の場合もそうだったのでしょうか?
実は、この頃、研究室はお金がなかったですから、金子知事のところへ打ち合わせに行ったのは、丹下さんだけでした。それも香川を目的に行ったのではなくて、丹下さんが広島に出張した帰り道に、県の方がうまく仕組んで、金子さんと丹下さんが同じ船で大阪から高松へ行く数時間、同じ部屋で過ごし、そこでいろいろお互いの話をし、お互いを知る機会がありました。
我々は、金子知事さんとの打ち合わせを終えて、丹下さんが帰ってきて、こういうことをいろいろ知事さんから要求されていると、それについて、どう答えるかみんなで考えようと。で、考えるんですが、土地勘もないし、知事さんの意見も直接聞いてないので、何か雲を掴むような雰囲気でした。
私の先輩の浅田孝さん、「五色台山の家」の設計者ですが、浅田孝さんが上で、その下に沖種朗さんがいて、僕がその下にいて、基本設計に取り組むのですが、3週間くらいの間、どうやって知事さんの要望に応えるのかさっぱり見当もつきませんでした。
この案を丹下さんが持ってこられるまでも、何かしらのスタディーはされていましたよね?
いろんな案をつくりましたけど、これほどまとまったものは出来ていませんでした。丹下さんの十数年の思い入れが全部ここに現れていますから、僕は大学院に入って3年目、これを見て「わぁすごい」と感動しただけでした。
丹下研究室の特徴の一つとして、多くの優れた建築家を輩出しています。磯崎新さん、槇文彦さん、黒川紀章さん、谷口吉生さん、などです。
こういった「丹下方式」と呼ばれる、各スタッフに責任をもって設計を進めさせる方法に何か影響があるのではないかと考えるのですが、藤森先生、そのあたりはいかがでしょうか?
槇さんから聞いた話ですが、アメリカの大学に行ってびっくりしたそうです。先生と生徒の間の上下関係の激しさにです。先生の前で自由に意見を言ったり、丹下研のような、どっちが先生か分からないような自由に意見を交わす雰囲気は全然なかったそうです。巨匠主義とでも言うのでしょうか。そんな中で唯一エーロ・サーリネンの事務所は違っていたようです。
また、「丹下さんは天才的な案がポンと浮かぶような人ではなかった」と書かれていましたが、スタディーを積み重ねることによって、様々な与条件を元に、最適解を導き出すような人だと考えていいんでしょうか?
そういう方です。相当、案を練ります。丹下さんは途中の資料を全部捨てちゃう人で、出来たものがすべてだと考える人ですから、あまり残されていませんが、若干残っている途中の資料を見ると、相当迷走しています。迷走して迷走して、最後にひゅっと飛ぶんです。ジャンプをするんです。
丹下さんのデザインで、僕が一番心配したのは、「ピロティ」なんです。もともと県の予算の中にピロティーなんかは入っていませんから、ピロティ分だけ、結果として予算オーバーするんじゃないかと思っていました。入札の日に始めて丹下さんと一緒に高松に来ました。
入札の時が初めてだったんですか?
ええ、初めてでした。結果を知事室で待っていたら建築課長が来て、落札しました。1発で落札しましたと。それで、びっくりしました。
後で考えてみると、ゼネコンも見る目がありますから、「この建物は、すばらしい。ぜひ自分の会社でやりたい」ということで、よく談合とかありますが、この場合はそうじゃなくて、ぜひ取りたいという別の会社も現れ、競争して予算にうまくあった訳です。これはびっくりしましたが、うれしかったですよ。
予算の範囲で大林組が落札してくれました。よく、いい建築はお金がかかると言われますが、そんなことはないですよね。予算の中でどんなことをやるか、それは建築の魅力のひとつだと思います。
その後、金子知事さんのすごいなと思うところは、この「香川県庁舎」の小さな修繕から大きな修繕まで、すべて大林組に任せていました。自分の会社の作品だと思ってくれたらいいということでした。
もうひとつ付け加えて言いますと、最初、屋上庭園は、職員の方が利用するものだったんですが、途中で知事さんから、「県民の方に、ぜひ屋上から高松の景色を、瀬戸内海の美しい景色を見てもらいたい」と、そういう要望が出ました。エレベーターが一番問題でした。3台しかない。実際、何万人もの人が短期間に殺到して、県民の方が喜んでくれました。その代わり職員の方は、エレベーターが利用できず、階段で上がり下がりしていたようです。(笑)
当時、県庁舎の屋上では、コーヒーだけじゃなくて、ビールも飲めてたそうです。
これは非常に成功でした。
もうひとつ途中で、やはり庭もつくらないといけないとなりました。当初、庭の計画は入っていませんでした。
建築途中で、知事さんは、「石材業界をバックアップすることは香川県の産業レベルを高めることになる」という思いで、庭を前提にして石屋さんに発注するんです。議会もそれを認めてくれました。
もうひとつその時に、弥生と縄文の葛藤といいますか、縄文的なものを庭で表したいと。そこで、旧庁舎妻壁に、かなり彫りの深いはつり仕上げを行いました。それも道明さんが、ふつうの豆砂利を骨材にするんじゃなくて、割石の小さなものを骨材にすると、はつったときに角が出ますから、非常に陰影が深くなると。それで現場で幅、深さの実験をしまして、製作しました。
もう1つ正面に立っている石も、最初は島でした。それを力強い石に取り替えるということで、雅な日本の庭だけではなく、力強い縄文的な要素をこの中に取り込みました。
ものの本によりますと、この庭はイサム・ノグチが作庭したと言われるぐらい、イサム・ノグチ風なのですが、どうやら、イサムさんがこの庭から影響を受けたのではないかと思われますが。
僕は、そうじゃないかと思います。
イサムさんの作品の特徴として、途中から自然石の一部に手を入れた彫刻を始めます。これはヨーロッパの普通の石彫ではないことです。普通の石彫はすべて削って仕上げていますから。
それは恐らく、これと、玄関受付の不思議な自然石がもとになっているのではないかと思っています。
玄関受付の石は最初、設計図の段階では、浅田さんが描いたんです。香川には大きい石があるから、大きな石のカウンターを作ろうと。
そのスケールが今あるカウンターのスケールなんですけど、実際には山本忠司さんが探しまわって、カウンターになりそうな石が見つかったということで、石屋さんに私も見に行きました。
政治的に石材産業の発展というテーマがありましたから、知事さんも自分で石屋さんががんばっているところを見に行かないといけない、そして、これはちょうどカウンターをつくっている段階の写真です。
近代建築では鉄筋コンクリートという技術が入ってきて、その鉄筋コンクリートで、日本の柱と梁の美学をどういうふうに表現しようかというテーマがあり、この「香川県庁舎」でひとつの到達点に達します。
ひとつの実務的な話を付け加えたいんですが、この建築の工事監理は、県の建築課が中心になってやっていました。コンクリートについては、現場にバッチャー・プラントを作り、そこで、骨材をチェックし、練るたびにテストピースをつくって、それを試験場に持って行くなど、非常に厳格なコンクリートの製造と打ち込みのチェックをしていました。
建物の利用者が検査をする。プロデューサーでもありコンシューマーでもある。それをプロシューマーと言いますが、使い手でもあり作り手でもある人々がつくる、そういう実例の1つです。非常にしっかりしています。
最近10年ほど前にコンクリートの劣化試験を行っていますが、成績は優秀でした。小さな小梁、あれの幅は114mm、モジュールから来ている寸法で、鉄筋が中に1本入っているんですが、今見てもほとんど亀裂が入っていないし、サビも出ていない。いかに優れたコンクリートを打ったのかこれで分かると思います。
型枠は杉と山本先生から聞いています。コンクリートというのは鋳型ですから、型枠の中にコンクリートを流し込みます。流し込んでいるときが一番大切で、それが後々の品質も決めてしまいます。ですので、「二コヨン(日給が240円の作業員の呼称)」とよばれる日雇い労働者をたくさん呼んで、とにかく突く作業をしています。型枠を外すと、型枠の木目がコンクリートの表面に見えます。
その結果、素晴らしく、精度の高いコンクリートができました。逆にいうと現代でもここまで精度のいいコンクリートを打つのは難しいのではないかと思います。
型枠は宮大工出身の型枠屋さんが、担当しました。今、ご覧になって分かるようにすばらしい仕事をしています。
この建物のファサードですが、端正ではあるんですが、どこか温かみがあり、金子さんそのものというか、人格者の風貌をしているなと感じます。
現在の南庭は、実は、当初できた時のものとかなり異なっています。「香川県庁舎新館」をつくる時に、現場事務所のために、庭の一部を取り壊して、再度つくり直しています。ここは最初は水面から一段の半分だけ顔を出していたんですが、対岸の積み方と同じ積み方をしてしまって、まったく野暮ったい訳です。同時にこの築山も取り合いが悪くて、ここが歩けるくらい平たくなっている。石の置き方も、こちらは埋めていますけど、こちらは浮いていたんです。わざと浮かしていたんです。見てがっかりしました。いつか、もとの感じに戻してもらいたいと思っています。
竣工から55年になり、来年度この「香川県庁舎」の耐震改修の話が出ています。よくあるのは、鉄骨のブレースを入れる手法ですが、それをやってしまいますと、全然雰囲気が壊れてしまいますので、現在の建築的価値を損なわないようにやっていただきたいと思います。
また、その機会に、今、ご指摘の庭の部分をオリジナルのかたちで復元して欲しいと思います。それからピロティの軒の部分に目隠しの木のパネルがあったんですが、それも取り外したままになっています。オリジナルのかたちを復元する保存をしていくことが大事なのだと考えています。